どんな木になりたいか、自分で選ぶ
自分を木と見做す。
太い幹に広い枝。こいつらを自分の楽しみの部分と考える。
これを支える根っこ。これを自分の生命維持の部分と考える。
実際には両方が関係してるのだけど、便宜上、二つにわけて。
どんなにがんばっても、一気に幹が太くなることはない。枝もちょぼちょぼ。
何回も冬を越えて、それで、すこしずつ、太く、広くなる。
それも、地中にふかーく伸びてる根っこが支えてくれるから。
自分の根っこをはりめぐらせるのが、必要。
一つの水源が失くなっても、他のところから水や養分を手にいれられるようにする。
あちこちに、少しずつ、延して、おいしい水っぽかったら、一気に延していく。
隣の人たちと、水源の取りあいでもあるのだけれど、自分が一時引くことで、
御互いによい場合もある。支えあったりね。共生みたいなもんか。
子供の教育は、添え木みたいなもので。
ある程度までいけば、邪魔になるからね。
そこは、信じるしかないね。
こいつは、きっちり自分を支えられる根っこをもってるって。
大きく見ると、ここらへんがデザインセンスってことになるんだろうな。
わしは、どんな木になろうかな。時間をかけて、根っこをのばしていこう。
わしの下から生えてくる木たちの添え木になってやろう。